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<佐藤 友哉/2007年新潮社> 

★★★

依頼人の為だけの物語を書く『片説家』の仕事をクビになり文字から見放されてしまった主人公が小説を書こうとしたり探偵と一緒に人を探したり小説を嘲け笑う才能を持つ者たち『やみ』と敵対したりしなかったりバックベアードに幽閉されたりしながら小説と云う存在と概念について考えるお話。

タイトルに惹かれてこの本を読んでみて、割と面白かったので驚いた。
僕は元来この作者の書く作品は好きではなかったからだ。
ただでさえ『フリッカー式』が肌に合わずに辟易していた上、続けて読んだ『クリスマス・テロル』で見せた「どうせ僕の小説は誰からも理解されない!」と云う作者のヒステリックな絶唱は当時高校生だった僕には傲慢な横暴にしか映らず、また作品の大半を作者の主義主張で埋め尽くされていたことに嫌悪感を感じると共に憤慨した僕は自室の低い天井に向かってえいやと本を投げたのだった。
それが打って変わって本書ではそこら辺が上手く文学として昇華されて居ると思う。

本書では小説に関する多くの問い掛けが飛び交っている。
自分自身の書く作品に自信を持つことが出来ず、また自分では出来損ないだと思いながら世に送り出した作品を喜んで読む読者を見下す作者が居る一方で作者が血肉を削って生み出した小説を鼻で笑う読者が居る。
作者がこれは小説だと言い張ればどんな廃棄物染みた悪文でも小説と成り得、その逆もまたしかり。
では本当に良い小説とは一体何なのか?
稚拙でも売れれば良いのか?
内容が良くても見向きもされない小説に意味はあるのか?
読者心に響けば良いのか?
読者の人生を変えれば良いのか?
単純に面白ければ良いのか?
そのこと自体に意味はあるのか?
等々。

言わずもがな本作の主人公は作者である佐藤友哉本人の投影であることは自明である。
上記の問い掛けは小説を書く人間と読む人間双方が小説と向かい合う際にいつでも生じる呪いの様な謎掛けであり、作者は今この瞬間もこのクエスチョンに苛まれ続けているのであろう。
回答は無い。

しかしながら、『それでも小説を愛しているんだぜ!』と声高らかに宣言する辺りこの作者は成長したのだなぁと度し難い未熟者である僕は分不相応にもしみじみと思うのです。


図書館で出てくる幼女が可哀いです^^



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