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例えば、さ。
腕時計の秒針がイカれてしまったとか
一晩のうちに部屋の電灯が二本も切れたとか
携帯電話のスピーカーがぶっ壊れて最早電話としての機能を果たさなくなったとか
ギターの二弦のチューニングが狂ったとか(直ぐに直した)
贔屓のバンドが立て続けに解散してゆくとか
先日母から貰ったお守りが行き成り引き千切れたとか、さ。
そんな十把一絡げの有り触れた絶望なんて今日日そこら中にゴロゴロ転がっているだろうし別段今更珍しくも何ともないPassion Playだったりするワケでその一つ一つを逐一汲み上げて溜息を吐いて廻るなんて下らない行為、
流石の僕でもやってらんないと思うけれど残念ながらこの手のイカれた手合いは何故だか示し合わせたみたいに瞬間的に大挙として押し寄せて僕を捻りつぶそうとしてきやがる。

何というか、
今まで首に巻き付いていた真綿が気付いたら首輪とか或いは絞首縄に類するものに成り替わっていたとか、さ、
だいたいそんな感覚だと思う。

何でだろうな、
どうしてそんな感じのどうしようもないくらい気が滅入る残虐な連中は突然突っ込んできてガチャガチャ捻じ込む様にして色んなものを滅茶苦茶に空中分解させようとしてくるのか。
ちょっとくらい待ってくれても罰は当たるまいにどんだけ生き急いでいるんだよと声を大にして言いたいけど一体全体どこのどいつに追い込み掛ければ善いんだろう?
そんなJust A Moment!


みたいな☆
可及的速やかに腐り落ちてゆく現状みたいな流行りの絶望包囲網に思いを馳せて「どうしてこうなった」と日がな一日中嘯き続けるすくたれた日々をどうお過ごしでしょうか→という自問自答。
うん、何でまた僕はこんな理不尽かつ不修多羅な界隈に片足突っ込んでる現状に陥っているんだろ。
ふと気付くと改善は大凡見込めずどんどんどんどん首だけが締まってゆく環境に僕は身を置いて仕舞っちゃって居て、
まぁ尻尾巻いて逃げ出すのは簡単だけど、(悔しいけど)
それでも無意識に浮かぶのは「こんな筈じゃなかった」という意味の無いSentence.
こうならない様に気を配っていたつもりなのに、一体全体僕が何をしたんだろう?

と、無実のフリをするのもなんだかな、って最近僕は思い始めた。
 

以前「世の中には何の前触れも伏線もない」って書いたことがある気がするけれど、
あれはきっと間違いだ。
多分どんなアクロバットな結論にも「そう」成らざるを得ないスイッチがあった筈なんだと思う。
それは例えばあの人があの瞬間に見せた表情だったり
僕が何気なく零した残虐性溢れる心無い一言だったり
ひょっとしたらあの雨の日のクレーン車の梯子の角度だって、実はそうかも知れない。
そんな無意味な事象の羅列が結果としてどうしようもない現状を生み出しているといるとしたら、
そいつらに気付かなかったこと自体がどうしようもない間違いだったに違いない。
もしも現状が狂っているというなら、
それは「何もしない」を選択してきた僕のせいなんだと心底思うよ。
徒に無実振る程頭の弱い子じゃないからさ僕は、
最低限そこら辺くらいは弁えたいんだ。
2+2=5みたいな頭のおかしい数式を目の前に突き付けられているにも関わらずそれに疑問を抱かずに鵜呑みにすることみたいな無知蒙昧さを笠に着てきたこと。
それ自体が僕の罪悪に違いないんだ。

多分そう、
Im@は僕のせい。

N.jpg









 

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久方振りのPassion Play.

実に三ヵ月振りにここに非道くウイットに欠けるどうしようもないくらいしょぼい駄文を書き殴ってみる。
だらだら書き殴ってみるのです。


何でまたこんなにこのへっぽこいブログを放置していたかと云うと、
とどのつまり自分自身でこの場所の意義を見失っていたわけで。
根本的にここは僕による僕のための僕のチラシの裏以外のナニモノでもないナニカシラであって、
あんまし読む人のコトを想定していないというか(そもそもこんなモン読んでいる酔狂な人間なぞこの大いなる地球上に存在するのかという悪魔の証明)、自分で好き勝手書き散らして楽しければそれでハッピーだよね☆みたいな、
簡単にいえばロバの耳した王様への突っ込みを思う存分喚き散らすあの穴に近い感じだと思う。多分。
んでもってそんないわゆる『一人ネバーランド』的な一大僕の遊技場の意義を失うということはどういうことかと云うと、
単純に飽きたとかそういう話じゃなくて、
「自分一人が楽しめる文章を書ければそれで善い」と云うStanceにそれってどうよどうなのよというセルフ突っ込みが入ったという異常事態で頭の中エマージェンシー。
突っ込みという話題が再び立ち上がることにより先の「王ロバ」の話が伏線として生きてくるというテクニカルな演出を錯覚してもいいですヨ!
まぁそこんトコは畢竟DoでもEんですけど、
さっきも書きましたけど何でこんな自分自身の為の倒錯染みたブログをおっ始めたかというと、
そもそも一時期周りの方々から「貴様の書く文章は遥か地平線の遥か彼方に聳え立つあの険しい山々のように読み辛く、その難儀さは春の訪れを告げるひどく冷たい豪雨のようだ(意訳)」みたいな、
とどのつまり「おめぇの書くもん超読みにくいす」とちらほらちらほら示唆されていたりして、
そういう無実(笑)の僕に対する謂れのない弾劾に対して「ムキー!好きなモノ書いて何でこんなにディスられなきゃいけないんだYo!」と勝手に憤慨したのかそもそもの始まりだった気がする。
周りの提案を素直に噛み砕ける人間が如何に強いハートを持っているのか露知らず、
その時分の僕は周りに合わせること=迎合という短絡回路で何やらかんやら突っ撥ねまくって頭の中で内向的に引き籠りまくって結果この無意味矢鱈と積み上げられた体たらくですよ。
傍から見りゃ無様にも程がある意味不明の産物なのです。

こんな形じゃ、
どこにも誰にも何も伝えることなんざ到底無理だなぁ、と。
そんなことをここんとこ暫く考えるようになりました。

確かに自分以外の誰かの考えや要求が自分の頭の中の出来事だと吐き違えて知らず知らずの内に顔も知らない不気味な誰かの言いなりに成っちゃうことは空恐ろしいことですが、
自己愛に特化し過ぎてコミュニケーション不全に陥ることもどうしようもないくらいさもしい。
不特定多数の誰かに伝えたい残虐なセンテンスを両手一杯に抱えていても双方に共通言語が無ければどうにもこうにもなりゃしないジズイズディスコミュニケーション。

本気で誰かをジャックナイフで刺そうと思ったら、
必要なのは形状の奇抜さではなくて、
それこそ一番大事なところをざっくり撃ち抜くためにナイフの刃を砥がなきゃ土台お話になりゃしない。

だから伝えるための文章を書くことは妥協ではないな、と、
今更つらつら思い至る今日この頃で御座います。

そう考えると僕だけが面白可笑しいこのブログはもう僕には必要ない。
そんな風に勝手に見切りを付けてもういっそのこともう辞めちゃおうか知らんと思いあぐねていたワケですが、
読み返したら良い感じに気持ち悪かったから、

まぁ、これでもいいかなって。


sakura.jpg






「好きにしたらいいと思います。他人は関係ないでしょう?」

「残されたところで今の日常が続くだけだろ」

「誰の為の人生だ?手前の人生だろ?」

「聴こえました。ちゃんと聴いていました」

「もっと素直になって下さい。先輩は普通の人間でしょ?」

「ここまで来たんだろ?だったら胸を張れ。誰にも文句を言わせるな」


そういうことなのか。
そういうことなんだな。
だからここに立っているんだ。
ここに立てたんだ。
ここまで来たんだ。
一人じゃ来れなかったんだ。

だから、



uuk


君が物云わぬ誰かに刺した無熱光性の殺意憶えてる?

3ヶ月振りにHello?
ワタシは浮いたコンセンサスですか?
果てしない残虐的レントシーキングに翻弄される僕の実存は今日も今日とて無貌です。
そんな無表情決戦に打ちひしがれ疲弊してきた昨今の実情にやさぐれて来たのでここ暫く意識的に避けていた僕の内面世界と久方振りに向き合ってみようか知らんと思い至った自傷的なホラー・ショウなのです。


何故だかよくわかりませんが、僕は周囲の連中から「優しい」と揶揄される傾向にある。
優しいフリした覚えはとんと無いけれど、比較的謙虚に振舞う様に意識しているからそれを踏まえての評価かも知れないけどさ、お門違いにも程があるよなと云う溜息混じりの雑感。
まぁ自分でもそこ迄残虐性溢るる人間性を振り回す方では無いと思うけどだからと云って僕が「優しい」理由になるわけじゃないし。
言ってみれば「残虐じゃない」だけ。
だから平気で誰かに害意を向けるけれど、
ただそれを現実に投下する勇気が無いだけ。
そんな消去法から抜き出された面白味の無い出涸らしが僕という朴念仁の真実な訳で。
聖人君子みたいな積極的な優しさを周囲に振りまく健全さなんてどこにも無いのです。
仮にそう云う動的に優しい人間が居るとして、定義の上で僕を「優しい」方の人間だとすると、
どう考えても僕の「優しさ」とやらは非道く消極的なもので、とどのつまり「誰かから嫌われたくない」と云う甘ったれた感情性の上に成り立つ自己弁明染みた免罪符以外のナニモノでも無いと云う。
社会的地位やら身体的特徴で秀でた人間は例え傲慢であったとしても花に群がる蝶の様に周囲に人間が寄り集まるのならば、
僕の様なさもしい朴念仁にはその為の華を持ち得ないため、
人様から好かれ様と思ったら例え見せ掛けであったとしても「優しさ」と云う造花を掲げないと近付いてさえ貰えない。
そう云う嘘混じりの「優しさ」を評価される事によって消化不良を起こしているのだろうか僕のSystemは。
出来る事なら傲慢で居たいのに、それが叶わない抑圧された構造を「優しさ」と呼ぶのなら、

本当のやさしさとやらはどこにあるのだろう。


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