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女の子に電子メェルを送信した後で、
諸々のプレッシャーから吐き気を催しながらその返信を待つ男は世界広しと云えど僕くらいしかいないんじゃないかとスケールの大きな疎外感を錯覚してみる真夜中の電脳戦争。
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君が物云わぬ誰かに刺した無熱光性の殺意憶えてる?

3ヶ月振りにHello?
ワタシは浮いたコンセンサスですか?
果てしない残虐的レントシーキングに翻弄される僕の実存は今日も今日とて無貌です。
そんな無表情決戦に打ちひしがれ疲弊してきた昨今の実情にやさぐれて来たのでここ暫く意識的に避けていた僕の内面世界と久方振りに向き合ってみようか知らんと思い至った自傷的なホラー・ショウなのです。


何故だかよくわかりませんが、僕は周囲の連中から「優しい」と揶揄される傾向にある。
優しいフリした覚えはとんと無いけれど、比較的謙虚に振舞う様に意識しているからそれを踏まえての評価かも知れないけどさ、お門違いにも程があるよなと云う溜息混じりの雑感。
まぁ自分でもそこ迄残虐性溢るる人間性を振り回す方では無いと思うけどだからと云って僕が「優しい」理由になるわけじゃないし。
言ってみれば「残虐じゃない」だけ。
だから平気で誰かに害意を向けるけれど、
ただそれを現実に投下する勇気が無いだけ。
そんな消去法から抜き出された面白味の無い出涸らしが僕という朴念仁の真実な訳で。
聖人君子みたいな積極的な優しさを周囲に振りまく健全さなんてどこにも無いのです。
仮にそう云う動的に優しい人間が居るとして、定義の上で僕を「優しい」方の人間だとすると、
どう考えても僕の「優しさ」とやらは非道く消極的なもので、とどのつまり「誰かから嫌われたくない」と云う甘ったれた感情性の上に成り立つ自己弁明染みた免罪符以外のナニモノでも無いと云う。
社会的地位やら身体的特徴で秀でた人間は例え傲慢であったとしても花に群がる蝶の様に周囲に人間が寄り集まるのならば、
僕の様なさもしい朴念仁にはその為の華を持ち得ないため、
人様から好かれ様と思ったら例え見せ掛けであったとしても「優しさ」と云う造花を掲げないと近付いてさえ貰えない。
そう云う嘘混じりの「優しさ」を評価される事によって消化不良を起こしているのだろうか僕のSystemは。
出来る事なら傲慢で居たいのに、それが叶わない抑圧された構造を「優しさ」と呼ぶのなら、

本当のやさしさとやらはどこにあるのだろう。


180507d5.jpg









 

最近中断して居た趣味:読書を再開してみた。

よってここ二年程絶望戦線の最前線で感覚的で感情的なEngineで立ち回って居た僕の出番は終了です。

それに伴った現象なのかそれともただの偶然か、
気のせいか長い間僕の頭の中に巣食って居た不透明な靄がすっ、と晴れて行く感覚。
頭の使い方を思い出したのか、はてまたプラジーボ染みた妄想基盤の願望か。(多分こっち)
兎にも角にも片目を閉じても両目を瞑っても次から次へ右へ左へ取り留めもない迷妄ばかりが浮かんで消えを繰り返し七面倒臭いったらありゃしない。

斯様な顛末で、
僕は僕が僕の感情線の上で振舞った間に抱え込んだ名も知らない感情たちを端から端へと片っ端に並べて揃えて、
そしてそれ等に名前を付けないといけないのだ。

そうしないと彼に申し訳が立たないのだと僕が、彼に。


swing.jpg









「どこにでもいる」有り触れた僕ならば、
「ひょっとしたら」と片目を瞑って逆説を目論んで仕舞う僕が、
僕は、
「何処」に。


数時間前、バイト帰りにちょいと某レンタルCDショップに寄り道して『とろける鉄工所』なぞを楽しく立ち読みして居ました所、突然、空気を引き裂いてけたたましい鶏の断末魔の様な絶叫が店内に木霊しました。
当然、複線染みた前触れがどこにも無い事態にびくりと肩を竦めてしまう小心者が僕なワケですが、見れば年端も行かぬというかそもそもお前小学校にも通ってないだろってぐらいの男の子が僕の視線の先で駄々捏ねまくり。
理由は考える迄も無いだろうから考えないけど、でも「ああいう時」のちびっ子の暴れっぷりには凄まじいものがあるよね。
もう連中、全力通り越して命懸けだもの。
一人でフィードバック現象を起こせそうな凄まじい音量と勢いで泣き叫ぶ、地団太を踏む、兎に角辺りを走り回る、売り物の本に八つ当たりする(おい!)。
小さい子の相手する時常々思うけどあいつ等常日頃から別段体力作りをしている訳でもないのに一体全体どうしてあんなに元気なんだぜ?
その場はご多聞に漏れず親御さんが泣き喚くわんぱくBoyを引き摺る様にして店から引っ張り出して行って収束したのですが店の外からでもHystericな叫び声が数分間漏れ聴こえて来た辺り尋常じゃ無いと思う。

で、そう云う光景を視界の端で捉えながら僕は思うのですが、
やっぱり「満たされない」と云う負の感情Styleが持つ原動力は凄まじいものがあるなぁと。
慮って見ると僕の様な法界悋気の炎に猛り狂う終日やさぐれBoyの行動理念たるルサンチマンもそのものズバリなワケで。
要するに今その手に持っていないもの、恐らく永劫手に入らないだろうものに対する執着からの感情Style.
でもそれって最も強い感情の一つだと僕は思うのです。
何となく腹一杯肥え太った狼よか痩せ細って生への枯渇から殺伐とギラギラし始めた豚の方がきっと強いと思いますし。
だから島本和彦先生が「吼えろペン」の中で言っていた『ハングリーな奴はとてつもなく強いが、頂点に立つ者は物質的にも精神的にも満たされている』というお話には未だに釈然としないものを感じるのです。
それって結果論じゃないのかな?一度頂点に立って仕舞ったら後は防戦だけだし。
それはそれで途方もない精神力が必要とされるのだろうけどさ。
う~ん、ちょっと人生経験の浅い僕にはわからない。
まぁいいや。

とどのつまり何が言いたいかと云うと、
何やらかんやらでScreamする事が多い僕ですが、
今現在僕が発している悲鳴の様な絶叫は一体、どの様な感情の形から発露して居るものなのだろう、と。
少なくとも恫喝や鬨の声に類する攻撃的なものではないと僕は思うのだけれど、
というかどう考えても先の「満たされない」という負の感情が大半を占めているのだけれど、
ただ全面的にそうかと云うと、そうでは無い気がするのだ。
そもそも自分の感情を明文化出来るなんて端から思っちゃないけどさ、
何だかよくわからない掴み所の無い攻撃的な感情性も胸の内に渦巻いて居る気がするけれどそれが何処の誰に向けられているかもわからないし、
最早僕自身が何に執着して何を切望して居るのかもよくわからなくなってきた。
と云うか今ここに居る僕にレンタルCDショップで命懸けで泣き叫んでいたあの子くらいに欲しいものなんて在るのだろうか?
それすらわからない。
何なんだろうね、この僕を突き動かす不可思議で自意識不明なSystem は?

割り切れるものじゃないことはわかっているつもりだけど、
どうにも割り切れないね。

明日もCry?


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永遠の中学二年生。
記憶と妄想往ったり来たり。
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